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1 PAN系炭素繊維の開発経緯
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Innovation Story
炭素を含む繊維を不活性ガス中で高温で焼成すると、炭素の正六角環が網目状につながった、鉄よりも強くアルミより軽い繊維ができる。そのことは開発当初からわかっていたわけではない。最初は耐熱性の繊維程度の期待であった。その開発には、先行した米国、あとを追った日本と英国で、レーヨン系、PAN(ポリアクリロニトリル)系、ピッチ系の3つの方式が競いあい、1970年ごろには並んでいた。そのなかでPAN系を追究していた日本が勝利をおさめ、現在日本の3社が世界シェアの4分の3を握る。
米国で開始された炭素繊維開発
炭素繊維は1950年代なかば、アメリカのウイリアム・F・アボットが、レーヨン繊維を原料として発明し、カーボンウールという会社が生産を開始した。焼成温度は1000度程度で、製品は断熱材・フィルター・吸着材であった。1959年ナショナル・カーボン社(ユニオンカーバイドの子会社)は2500度で焼成し,炭素繊維を作ったが、プラスチック補強材として使うほどの強度はなく、用途としては、宇宙ロケットの耐熱材と想定されていた。
PAN系で始めた進藤昭男
大阪工業技術試験所で入所以来、炭素の研究をしていた進藤昭男は、米国での開発を知ると、いろいろな合成繊維の焼成を試み、オーロンというデュポン社製のPAN系繊維を使って炭素繊維を作りだした。1959年のことであった。試料を得るために、さらに焼成実験をしていくなかで、レーヨン繊維を焼成する場合には必要ないが、PAN系繊維の場合は、焼成前に空気酸化という前処理をしておくことが必要であることを発見する。できた炭素繊維は、引張強度も引張弾性率もレーヨン系炭素繊維を上回っていたが、それを生かす方向で研究も製品化もおこなわれなかった。この研究は、日本カーボンが1962年「カーボロン」という名で製品化し発売した。その用途は炭素でありながら柔軟であることを生かした石油ストーブの芯、電熱布、静電気防止材料、パッキングであった。
PAN系で強度を追求
炭素繊維の研究を強度を求める方向で発展させていたのは、レーヨン系でそれを試みていた米国であった。それに対抗してPAN系で強度を高める方向に向かったのは、英国の王立航空研究所(RAE)のワットであった。ワットは前処理過程で緊張処理をほどこすことで強度を生み、それを特許に申請していた。英国ではジェットエンジンなど、炭素繊維への期待が過熱していた。それは1970年の大阪万博への出典にも現われていた。日本の研究者も英国を追って、強度を増す方向で研究を加速する。そのころ研究用のPAN系繊維を提供していた東レも、1970年に炭素繊維研究に本格参入する。
米国と英国での動き
レーヨン系に対するPAN系の優位が化学者の共通認識になり、米国のレーヨン系の研究開発は中止となったが、PAN系には向かわず、原料が安価なピッチ系を開発することに向かう。他方ジェットエンジン材料にと過剰な期待をもっていた英国は利用を急ぎすぎたために、開発費が続かず、1970年撤退した。
そうしたなかで、日本の東レがPAN系炭素繊維の本格生産を開始するが、顕在的な需要が見えていたわけではなく、需要を開発しながらの生産であった。東レが最初に市場開拓したのは、釣竿、次いでゴルフクラブであった。スポーツ分野への活用は、炭素繊維の需要を生み出し、その利益は日本の炭素繊維研究開発をいっそう後押しした。
1990年代に入り、東西冷戦構造の解体により、航空宇宙分野での需要が低迷し、欧米の企業の炭素繊維からの撤退が相次いだ。
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